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守るもの。 

お久しぶりです。
地震から遠く離れた大阪から報告するのも変だけど元気です。

地震発生時はショッピングモールでベビーカートに息子氏を乗せてお買いもの中でした。
最初はめまいかと思ったけど、地震と気が付いてからは真っ直ぐ立ってられない揺れでした。
(新しい建物は揺れで地震の力を逃がすようになってるのかしら)
大きな地震・・・南海地震だ!今から本震が来るかも!逃げなきゃ!
と、大急ぎで息子氏を抱っこひもに装着。あんなに早く装着できたの初めてでした。

その後は揺れも収まり「結構大きい揺れだったねぇ」とママ友と一安心。
晩御飯の買い物を済ませ何事もない日常に戻ったけど、帰宅してからテレビを見て絶句でした。

好きな人なんて絶対いないけど、私は地震が大嫌い。
30年以上生きてきたけど、今でも神戸の震災が一番怖い出来事です。
あの時・・・たまたま起きてた母親が地鳴りに気付き揺れが来る前に寝ていた私達を起こしたおかげで
最初から最後まではっきりとした意識で体感してしまった。
「(プレートがないから)関西に地震はこない」と小さな時から言われていたし皆それを信じてたから
一生続くかと思った地鳴りも大きな揺れも、それが地震によるものだとは分からなかった。
当時北朝鮮のミサイルが話題になっていたから、てっきりミサイルが撃ち込まれて戦争が始まったに
違いない!戦争だ!殺される!と誤解してたし。
日頃の行いに反省するところがあったのか「助けて!」「ごめんなさい!」を連呼。
揺れが収まってからもしばらく絶叫し続けてたなぁ。

今回の地震では規制されていてほとんど写ることはなかったけど、阪神のときは亡くなった人が
テレビに映ることもあった。
助けを求めて手を伸ばしたまま黒焦げになった性別も分からない人の事は忘れられない。
ニュースを見てあまりの恐ろしさに泣くことも多かったし、淡路島の親戚達や神戸の知り合いの安否を
求めて延々と読み上げられる死者の名前を何時間も見たりした。
本当に怖かった。

でも、「本当に怖かった。」こう言えるだけ私は安全な場所にいたということ。
神戸の人たちは震災の時のことを思い出すこと自体が大きな苦痛で語りたがらない。
思い出すことを身体が拒否しちゃってるんだろうね。

パパの職場にも阪神大震災を火の海になった長田で被災し避難所生活を送っていた人がいるのだけど、
今回の地震では揺れが収まってからもパニック状態になってしまうほどだったらしい。
思い出したくなかった恐怖を思い出しちゃって大きなストレスを感じてる人いっぱいいるだろうな。

それでも「あのときの恩返しを」と盛り上がってる関西の人達のパワーをすごいと思う。
全国の人が一丸となって復興を後押しする様子とても頼もしく素晴らしいね。
我が家も復興への支援、出来ることを継続してやってくつもりです。
少しでも早く困ってる人に物資が届くようオムツ、オシリふき、生理用品、カイロなどを寄付しました。
何か所かで募金もしてるけど、直接被災した自治体にも振り込みをすることにしました。


地震から数日後、息子氏が初めてしゃべったのよ!
第一声は「ママ」でも「パパ」でもなくオモチャを手渡しながらの「どど(どうぞ)」でした。
「どど」「どど」と色んな物をくれます。
私の真似をしてるんだろうけど、「どうぞ」とても嬉しかったな♪
優しい気持ちと思いやり、譲り合いの心を持って、これから数十年掛かる復興の力になれるような
素敵な大人に成長してくれますように☆

それまではママとパパが全力であなたを守るからね。
RIMG0748.jpg
(ママの代わりに添い寝してくれてるキレネンコと)

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[ 2011/03/30 17:18 ] 息子0歳 | TB(0) | CM(2)






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